暮らし方

【終戦記念日を受けて】祖父の生きた証を守るために

こんにちは♪tomoです。
今日は終戦記念日ですね。太平洋戦争が終結したのが1945年、75年もの月日が経っています。戦時中の日本の記憶を持つ方も、身近なところでは減ってきました。

私の祖父は、戦況が激化し始めた沖縄戦に参加していました。しかしある日、最前線である南大東島へ向かうよう言われたそうです。泣きながら「死んで来い!」と手を振る人々に見送られ、祖父は南下したそうです。

南大東島の周囲はアメリカの艦隊に包囲されていました。夜な夜な日本軍は砲弾を撃ち続けましたが、アメリカ艦隊は日本軍の射程距離を熟知しており、全く届きません。逆に、大砲の発射箇所=基地の場所がバレてしまい、集中砲火を浴びる戦いが続きました。祖父は、死を覚悟したそうです。

そんなある日、島を包囲していたアメリカ軍が、キレイさっぱり無くなったそうです。南大東島を後回しにし、沖縄本土への攻撃に向かったことが、後から分かりました。

涙ながら見送ってくれた沖縄の方々の安否は、祖父は分からなかったそうです。祖父には、死地から生き延びたという事実だけが残りました。

その後、地元へ戻り就職し、家庭を持ち、子が生まれ、孫が生まれ、いわゆる幸せな人生を送った上で祖父は旅立ちました。仕事人間で家庭を顧みない人だったようですが、孫である私には本当に優しく、時として人間としての心得を教えてくれる人でした。私は、今でも尊敬しています。

祖父は、亡くなるまで大事にしていた写真がありました。それは、書斎の机の中にありました。若い祖父と戦時中の仲間と撮った写真です。棺の中に入れて送りました。写真で一緒に写っている人は、どんな人生を送ったのでしょうか。戦時中に亡くなったのでしょうか。それとも、祖父と同じように戦後家庭を持ったのでしょうか。それは、今になっては分かりません。

仕事で心が追い詰められたときに、祖父が遺してくれた言葉があります。
「どんなにしんどい時でも、tomoの頑張っている姿を認めてくれる人が必ず1人はいる。それを信じることだ。」
サラリーマン人生はしんどいことばかりですが、この言葉に何度も助けられました。月並みですが、祖父は私の中で生きているんですね。

戦争では、数多くの若者が命を失いました。そんな彼らの命の証として、我々は今の日本を生きています。1日1日を大事に生きていきたいものですね。

今日もありがとうございました。